東京地方裁判所 昭和63年(行ウ)119号 判決 1991年5月23日
原告
富里商事株式会社
右代表者代表取締役
アレン・ダブリュウ・ジョンソン
右訴訟代理人弁護士
中山慈夫
同
中町誠
被告
中央労働委員会
右代表者会長
石川吉右衛門
右指定代理人
萩澤清彦
同
布施直春
同
小野寺幸夫
同
日向栄
被告補助参加人
ノースウエスト航空日本支社労働組合
右代表者中央執行委員長
小室孝夫
被告補助参加人
藤田順一
右各被告補助参加人訴訟代理人弁護士
山本政明
同
安原幸彦
同
大槻厚志
同
山田安太郎
同
中丸素明
主文
一 中労委昭和六一年(不再)第二一号事件について、被告が昭和六三年七月二〇日付けでした命令を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とし、参加費用は被告補助参加人らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
一(争いのない事実等)
1 (当事者等)
(一) 原告は、ノースウエスト航空会社(以下「ノースウエスト」という。)の乗務員宿舎及び乗換え旅客用室の管理業務を主たる目的として、ノースウエストの一〇〇パーセント出資により設立された会社で、肩書地に本社を置き、成田インターナショナルホテル(千葉県印旛郡富里町七栄六五〇―三五所在。以下「ホテル」という。)を経営しており、昭和五七年六月当時の従業員数は約九〇人であった。
(二) 補助参加人ノースウエスト航空日本支社労働組合(以下「補助参加人組合」という。)は、昭和三五年六月に結成され、ノースウエスト及びホテルの従業員その他の航空関連事業所の従業員らによって組織される単一組織の労働組合であり、事業所又は地域別に支部を設け、ホテル支部等一〇支部を有し、昭和五七年六月当時の組合員数は、ホテル従業員二四人を含め、約四〇〇人であった(<証拠略>弁論の全趣旨)。
(三) 補助参加人藤田順一は、昭和五四年六月に原告に入社し、ホテルでドライバーとして勤務していたが、昭和五七年二月一八日付けで原告から解雇された。この間、補助参加人藤田は、昭和五四年八月ころ補助参加人組合に加入した(組合加入の時期につき、<証拠略>)。
(四) 後記のとおり補助参加人藤田の解雇理由となった本件事件当時、友野博司は原告の総支配人(昭和五六年二月まで)であり、吉開楯彦は原告の総務部長(昭和五一年一月から。なお、昭和五六年三月以降は総支配人)であり、松井一久は原告の総務係長(昭和五五年一月入社時から。なお、昭和五六年三月以降は総務課長)であり、高田剛は原告の客室部ベルキャプテンであって、補助参加人藤田の直接の上司であり、宮田光重は原告の調理長(昭和五五年四月七日入社)であり、吉野周次は原告の仕入部長であり、須藤時男は原告の経理係長(昭和五六年三月以降経理課長)であり、岡淳一は原告のアシスタントベルキャプテン(昭和五五年三月から)であった(争いのない事実<証拠略>)。
また本件事件当時、浜島斌は補助参加人組合中央執行委員長(以下「本部委員長」という。)、小室孝夫は同副執行委員長(以下「本部副委員長」という。)であり、佐藤工は原告の従業員であって同組合ホテル支部委員長、小川良一は原告の従業員であって同副委員長であり(ただし、組合加入後間もなく小松三夫がそれを代行していたことが窺われる。)、小松三夫は原告の従業員で補助参加人組合員(ただし、組合加入後間もなく、同副委員長を代行していたことが窺われる。)であり、岩名博作(後に改姓により鈴木)は原告の従業員で同書記長であった(<証拠略>)。
2 (背景となる事情―組合支部の公然化とその後の労使関係)
(一) 昭和五四年九月四日、浜島斌本部委員長がホテルの事務室で友野総支配人に面会して同人に「組合結成並びに役員の通知書」と題する書面を手渡し、ホテルにおける組合の存在が公然化した。
(二)(1) 昭和五四年九月六日、補助参加人組合は、原告の管理職によりホテル支部組合脱退工作がされたとして、原告に対し、佐藤支部委員長との連名で「会社管理職によるホテル支部組合に対する脱退工作について等」を議題とする団体交渉を申し入れたが、原告は、ホテル支部結成手続等について重大な疑義があるとしてこれに応じなかった。
(2) 同月八日、補助参加人組合は、千葉県地方労働委員会(以下「地労委」という。)に対し、右議題について団体交渉の促進を調整事項とする斡旋を申請したが、原告は、同月一三日、右斡旋を受けることを拒否した。
(3) 同月一一日、補助参加人組合は団体交渉拒否及び支配介入に対する不当労働行為救済申立てをし、これを受けて地労委は事件を分離して(団体交渉拒否については同地労委昭和五四年(不)第三号の一事件、支配介入については同年(不)第三号の二事件)審査し、昭和五四年(不)第三号の一事件については同年一二月二五日救済命令を発令した。その再審査申立ての審理中、中央労働委員会(以下「中労委」という。)は、昭和五五年二月二九日、同事件について、初審命令履行勧告書を発して原告に交付したが、原告は、右勧告に従わなかった。また、昭和五四年(不)第三号の二事件については昭和五五年七月二二日救済命令を発令した(その後、いずれの事件についても再審査申立棄却、その取消訴訟も棄却され、確定した。)。
(三)(1) 昭和五五年四月初めころ、補助参加人組合は、回答期限を同月四日と指定した春闘要求書を原告に交付したが、原告は、右交付の翌日、これを補助参加人組合に返却した。
(2) 補助参加人組合は、ストライキ実施の通告をした上、同年四月八日午後四時から午後六時まで、ストライキを実施し、ホテル支部組合員一六人(補助参加人藤田を含まない。)がこれに参加した。
これに対し、原告は、同月一〇日、右一六人それぞれに対し、「貴殿は、昭和五五年四月八日一六時から一八時まで勤務時間中職場から離脱し、業務を放棄し、業務に多大の支障を及ぼした。右行為は就業規則に違反し、懲戒の対象となる行為であり、はなはだ遺憾である。今後、かかる行為を繰り返さないよう厳重に警告するとともに、今後繰り返した場合は、会社は相当な処分をせざるを得ないことを予め警告並びに通告する。」旨記載した同日付けの警告並びに通告書(以下「第一回警告書」という。)を交付した。
(3) 補助参加人組合は、同年四月一八日、同日午後五時から午後七時までストライキを実施し、ホテル支部組合員一四人(補助参加人藤田を含まない。)がこれに参加した。
これに対し、原告は、同月二三日ころ、右一四人それぞれに対し、第一回警告書と同旨の警告書を交付した。
(4) 補助参加人組合は、同年四月二一日、同月二二日、同月二四日、同月三〇日、同年五月四日ないし同月一〇日及び同月一三日、それぞれ時限ストライキを実施し、補助参加人藤田を含むホテル支部組合員二四人がこれに参加した。
これに対し、原告は、同年五月一五日ころ、右二四人それぞれに対し、第一回警告書と同旨の警告書を交付した。
(5) 補助参加人組合及び右各警告書の交付を受けた組合員らは、地労委に対し、同年四月一七日(地労委昭和五五年(不)第一号事件)、同月三〇日(同第二号事件)、同年六月五日(同第三号事件)、不当労働行為救済申立てをし、地労委は、右各事件を併合して審査し、昭和五五年一二月二四日、救済命令を発令した(その後、いずれも再審査申立棄却、その取消訴訟も棄却され、確定した。)。
(四)(1) 昭和五六年三月九日、補助参加人組合はホテル支部と連名で、原告に対し、回答期限を同月三〇日とした賃上げや労働協約締結を求める春闘要求書を提出したが、原告はこれに対する回答をしなかった。補助参加人組合は、ホテル支部と連名で、同月三一日付け、ついで同年四月二日付けで、それぞれ右要求に関する団体交渉を申し入れたが、原告はこれに応じなかった。
(2) 補助参加人組合は、同年五月一三日、地労委に対し、団交拒否を理由とする不当労働行為救済申立て(地労委昭和五六年(不)第三号事件)をし、地労委は、昭和五七年二月三日、救済命令を発令した(その後、再審査申立棄却、その取消訴訟も棄却され、確定した。)。
(五) 同年六月九日から同月二一日までの間、補助参加人組合は、時限ストライキを実施し、同組合員二九名がこれに参加し、原告は、同月二五日ころ、右二九人それぞれに対し、第一回警告書と同旨の警告書を交付した。
これに対し、補助参加人組合は、同月三〇日、地労委に不当労働行為救済申立て(地労委昭和五六年(不)第五号事件)をし、地労委は、昭和五七年三月二四日、救済命令を発令した(その後、いずれも再審査申立棄却、その取消訴訟も棄却され、確定した。)。
(六) なお、前記昭和五四年(不)第三号の一事件については、昭和五五年一〇月三一日に東京地方裁判所から緊急命令が発令されたが、労使間の団体交渉の事項、出席人数、時間等についての折り合いがつかず、最初の団体交渉は、前記地労委の仲介により、昭和五六年一一月三〇日に初めて開かれた。
(なお、以上のうち、ストライキの点について、原告は、ストライキ実施の通告がなかったとして、それは単なる職場離脱であってストライキとはいえないと争うが、<証拠略>によると、昭和五五年四月八日のストライキについての通告書が一旦吉開総務部長に手渡された後突き返されたこと、それ以来、補助参加人組合からのストライキ通告はその都度口頭でなされることも少なくなくなったことが認められ、この認定を覆す証拠はない。そして、同年五月五日は、<証拠略>によると、同日午前五時からストライキに入る旨の争議通告書が原告会社に送付され、原告側がこれに対処したことが認められ、また、同月六日は、<証拠略>によると、午前五時ころ組合員が原告の管理職員に対してストライキの通告書を手渡しに来たことが認められ、同月二一日は、<証拠略>によると、午後四時から二〇分間のストライキに入る旨組合員吉田利行が原告管理職員に告げたことが認められ、<証拠略>中の松井一久の正式通告はなかった旨の供述部分は右認定を覆すに足りない。これらの事実に右各証拠並びに弁論の全趣旨を総合すると、右以外の各ストライキもそれぞれ文書又は口頭による通告を経た上で実施されたものと推認するのが相当である。)。
3 (本件解雇とその理由)
原告は、補助参加人藤田に対し、昭和五七年二月一八日、同人のした次の行為が原告就業規則七二条一項七号「職務上の指示、命令に従わず職場の秩序を紊したとき」、九号「賭博、飲酒、風紀紊乱などにより職務規律を紊した場合」、一二号「他人に暴行脅迫を加え若しくは業務を妨害したとき」、一七号「刑事上の罪によって訴追され会社の名誉信用を失墜し若しくは従業員としての汚名により職場規律を紊したとき」、一九号「前各号に準ずる行為をなしたとき」に該当するとして、解雇の意思表示をした。
右解雇の理由とされた補助参加人藤田の行為は、次のとおりである。
(一) (五・五事件)
(1) 昭和五五年五月五日、ホテルのアネックス前で、吉開総務部長に対して体当たりを繰り返すなどの暴行を加えたこと。
(2) 同日、ホテル本館へ出勤途上の友野総支配人に対し、小突き回すなどの暴行を加えたこと。
(3) 同日、ホテル従業員出入口付近で、吉開総務部長の顔面に激しく唾を吐きかけたこと。
(二) (五・六事件)
同日六日、ホテル玄関前でバス見送り業務をしていた高田剛に背後から体当たりして同人の業務を妨害し、他の組合員とともに暴行を加えて同人に傷害を負わせたこと。
(三) (五・二一事件)
(1) 同月二一日、他の従業員十数人とともに、無断で職場を離脱し、ロビーに座り込むなどの業務妨害を行ったこと。
(2) 同日、宮田光重に対し暴行を加え、入院治療一週間の傷害を負わせたこと。
(3) 右傷害につき起訴されたこと。
(四) (七・五事件)
同年七月五日、ホテル男子ロッカールームにおいて、宮田光重に対し、「告訴したのか、しないのか。告訴などしたらてめえぶっ殺すぞ。」と脅迫し、同人の後頭部を殴打し、顔面に唾を吐きかけるなどの暴行を加えたこと。
(五) (一〇・一六事件)
(1) 同年一〇月一六日、成田空港南ウイング付近の路上において、ホテル空港番阿部哲也のバス発車の業務上の指示に反抗したこと。
(2) その際、同人の左頬を殴打し、故意に同人の足を強く踏みつけるなどの暴行を加えたこと。
(六) (一一・二一事件)
(1) 昭和五六年一一月二一日、従業員食堂において、丸山寿子に暴行を加え、同女に傷害を負わせたこと。
(2) 五・二一事件及び七・五事件について起訴され公判中の身であるにもかかわらず、同種の暴行行為を繰り返したこと。
4 (本件命令の発令)
補助参加人両名は、補助参加人藤田の本件解雇が不当労働行為であるとして昭和五七年六月五日地労委に対しその救済申立てをし(千地委昭和五七年(不)第四号不当労働行為救済申立事件)、地労委は、同六一年二月一二日別紙(一)記載のとおりの救済命令を発し、同命令書の写しの交付を受けた原告の再審査申立て(中労委昭和六一年(不再)第二一号事件)に対して、被告は昭和六三年八月二四日付けで別紙(二)記載のとおりの救済命令(以下「本件命令」という。)を発し、本件命令書の写しは同日原告に交付された。
二(中心的争点)
1 原告の主張の要旨
本件命令が違法であることは次のとおりである。
(一) 補助参加人藤田の解雇事由となる暴力行為、粗暴行為は一3(一)ないし(六)のとおりであり、本件命令には事実認定についての誤りがある。
(二) さらに、不当労働行為性の認定、判断等についても、次のとおり誤りがある。
(1) 補助参加人藤田の行為と組合活動とを関連づけて本件解雇を不当労働行為であるとすることができるのは、当該行為が組合活動の一環としてなされたといえる場合であって、かつ、当該組合活動が正当であるといえる場合に限られる。
本件命令は一一・二一事件を別としてすべて組合活動に関連して生じた事件であるとしているが、まず、補助参加人藤田の解雇事由は右のとおりの暴力行為を主たる内容とするものであって、およそ暴力の行使が正当な組合活動の範囲内に属することはあり得ない。さらに、七・五事件及び一〇・一六事件に関連する組合活動なるものがあるかのように本件命令は述べているが、本件命令中にその具体的な認定はなく、現実にもかようなものは存在し得ないことが明らかである。また、七・五事件は、藤田が就業時間中に起こしたもので、職務専念義務(雇用契約上従業員の当然の義務であり、また、原告就業規則四条、一〇条五号、七二条一五号にもその趣旨は明記されている。)に違反するものであって、原告は就業時間中の組合活動を一切認めていなかったのであるから、藤田の行為は明白に違法な行為である。したがって、仮に藤田の右行為と組合活動との間に何らかの関連性が認められたとしても、その行為が正当な組合活動に関連したものとされることはあり得ない。
さらに、当時の補助参加人組合の行動自体が、次のとおり、正当な組合活動の範囲を逸脱した違法なものである。
① 組合活動のために企業施設を利用することを使用者が受忍すべき義務がないことは確立した判例であり、使用者の許可なく企業施設を利用して行う行為が違法であることはもちろんである。しかるに、補助参加人藤田の行為中五・五事件、五・六事件及び五・二一事件に関連すると被告が判断した組合活動は、いずれも原告の会社施設内で原告の許可なく行われたものである。ことに、五・五事件中(1)、(2)当時は、藤田を含む補助参加人組合員がホテル構内に集まった上、アネックス付近で友野総支配人及び吉開総務部長を取り囲むなどの行為を行っており、同事件(3)及び五・六事件当時は、組合員ら約三〇人がホテル玄関や従業員出入口を占拠し、ここに滞留する行為を行っているし、五・二一事件当時も、ホテル二階の正面ロビーに座り込み、その後、ホテル内を移動する集団行動をとっているのであって、こうした集団的行動が原告の施設管理権を不当に侵害する違法行為であることは明らかである。
② ストライキの本質は、労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段方法は、労働者が団結してそのもつ労働力を使用者に利用させないことに限られる。本件命令は、五・五事件、五・六事件及び五・二一事件当時、補助参加人組合がストライキを行っていたと認定しており、仮にそのとおりだとしても、本件における会社設置の集団的な占拠、滞留は正当性あるストライキの範囲を逸脱する点でも違法なものである。
③ 施設内での接客を本文とするホテル業においては、施設内で労使が争議状態に入って互いに緊張していることを端的に誇示し、緊張関係を目の当たりに現前させることは、ホテルサービス業の統合的演出効果を著しく減殺し、ひいてはホテルの品格、信望を損ない、ホテルに対する客の向背を左右するに至ること必定である。しかも、ホテルの品格、信望は、ひとたび貶しめられればこれを回復することが著しく困難である。とりわけ成田インターナショナルホテルは、広い敷地内に芝生、木立、プールを配したリゾート風庭園をセールスポイントにしており、敷地全体が利用客に提供されているという特色を有する。したがって、ホテルの建物内はもとより敷地内においても、これを占拠し、滞留する行為は、ホテルの提供するサービスを直接に侵害することになる。
本件における補助参加人組合員らによる集団的業務妨害行為は、すべて宿泊客のいる現場でなされたものであり、その態様も常軌を逸しており、違法性の極めて顕著なものである。
以上のように、補助参加人藤田の解雇理由である各行為に関連すると被告が判断した補助参加人組合の組合活動は、違法なものであることが明らかであるのに、被告は、その正当性について意識的な検討をまったくしておらず、本件命令は、これらの集団的行動があたかも適法な組合活動であるかのごとき前提にたっているから、その判断の誤りは明白である。
(2) また、本件解雇には不当労働行為意思が入り込む余地はない。
本件命令は、補助参加人藤田が闘争委員であるとの認定をしているが、これは本件初審の尋問の際に突然補助参加人組合から主張されたもので、原告は、まったくその事実を知らず、本件命令もこのことを否定していない。そして、藤田が組合の役員になったこともないことは争いのない事実であり、組合活動を活発に行っていた者でないことも明らかである。
本件命令は、補助参加人藤田について被告において認定した行為につき「解雇理由とすることが妥当性を欠く」としているが、解雇の妥当性についての意見をもって直ちに不当労働行為にあたるとの判断をしているに等しい(なお、解雇の妥当性の観点からいっても、藤田の暴力行為、粗暴行為は、会社の企業秩序、職場規律を著しく侵害するものであって、懲戒解雇を相当とするものであるが、原告は、同人の将来を考慮して普通解雇処分にとどめたものである。)。
さらに、本件においては、企業秩序・職場規律違反を理由とする解雇が問題なのであるから、補助参加人藤田の行為を原告における企業秩序・職場規律の観点から検討すべきであるのに、本件命令は、同人の暴力行為の詳細についての事実認定にのみ気をとられて、同人の行為により侵害された原告の利益の重大性を見落としており、そのことは、本件命令中にこれについての検討、判断がなされていないことからも明白である。さらに、藤田の行為は、五・六事件、五・二一事件、一〇・一六事件のように客の面前でなされたものはもとより、他の行為もすべて宿泊客のいる現場でなされたものであり(当時のホテルの宿泊稼働率は七〇ないし八〇パーセントであり、レストラン利用客は一日当たり五〇ないし六〇名であった。)、その態様も常軌を逸し、利用客に労使の緊張関係を目の当たりに現前させるものである。前記のようなホテル業の特質や成田インターナショナルホテルの特色に照らせば、こうした行為が原告の業務妨害として極めて顕著な違法性を有することも明らかである。
なお、刑事判決との関係でいえば、五・二一事件が無罪、七・五事件が罰金一万円(執行猶予付き)の刑に処せられて確定しているが、刑事手続においては刑罰を科することとの関係で事実認定がなされるのであり、解雇についての判断は、当該行為が企業秩序の上で雇用を継続し得ない程度の非違行為であったかどうかが問題であって、刑事手続における判断結果と当該行為が解雇事由となるかどうかとは観点を異にしている。刑事裁判においては「疑わしきは被告人の利益に」の大原則が貫徹され、厳格な証拠法則の制約下での高度な証明が要求されており、そうした制約下で故意の立証という極めて微妙な問題について立証がないとされて無罪判決がなされたことによって、本件における判断が法律上も事実上も拘束されることはない。
加えて、本件命令は、補助参加人藤田の各暴力行為をまったく別々に切り離して偶発的な事件であるかのように誤認している。藤田の各暴力行為の一つ一つを個々に取り上げれば、それぞれを偶発的な事件と解釈する余地があるとしても、継続したこれら六件の暴力事件を全体としてみれば、いずれも同人の粗暴な性格に起因することが明白である。そして、これら一連の事件は、すべて同人が職場施設内で惹起したもので、企業秩序、職場規律の重大な侵犯であり、また、五・五事件、五・六事件では執行猶予(嫌疑不十分ではない。)となり、五・二一事件及び七・五事件では逮捕、起訴され(本件解雇当時公判中)、各事件後に一〇・一六事件を、更に、公判中に一一・二一事件を起こしていることは、同人の無反省を示すものである。
以上のとおり、本件命令には、証拠も十分な根拠もないまま不当労働行為意思を認定した違法がある。
(3) 本件命令主文第一項は中間収入を控除せずに全額のバックペイを命じている。しかし、補助参加人藤田は、本件解雇後、補助参加人組合で就労し、従前の賃金と同様の金員を、返還を要しないものとして取得しており、右の収入は当然バックペイから控除されるべきものであるから、本件のバックペイ命令には裁量権の限界を超えた違法がある。
(4) 本件命令主文第三項が掲示を命ずる文書は、「陳謝文」という題で、しかも、文中に「当社は、このことを深く陳謝する」との文言を入れることを義務づけている。しかし、原告に対し、その意に反して右のような意思表示を過料、刑罰の制裁を前提として強制することは憲法一九条に違反する。また、それは、報復的、懲罰的な性格をもち、ポストノーティスの原状回復の趣旨を逸脱しており、労働委員会の裁量権の範囲を超えた違法なものである。さらに、被告は、従来各地労委のポストノーティス命令主文について、本件のような「陳謝誓約型」の文言をいわゆる「労働委員会認定型」に変更してきたのが通例であったが、本件に限りそのような措置をとっていないのは平等原則に違反する違法がある。
2 被告の主張
被告の認定、判断は本件命令書記載のとおりであり、本件命令は違法である。
3 補助参加人らの主張の要旨
(一) 本件解雇は、原告が昭和五四年九月のホテル支部公然化以来とってきた、組合敵視政策による不当労働行為の一環である。解雇事由とされた各事件なるものは、一一・二一事件を除き、事実をまったく捏造したものか(五・二一事件がその典型である。)、管理職員らが挑発を繰り返す中で起こったささいな出来事を、前提事実やそれに至る経過、有責性などの一切を捨象し、しかも事実を著しく歪曲した上で、補助参加人藤田にのみ責任を負わせようとするものか(七・五事件はその典型である。)そのいずれかである。
原告は、組合活動を抑圧すべく、執拗に刑事告訴を行ったが、五・二一事件と七・五事件のみが起訴に至ったのみで、他の事件は起訴されていない。しかも、五・二一事件は無罪となり、七・五事件は罰金一万円の執行猶予という異例の判決であった。
(二) 各事件の真相は次のとおりである。
(1) 五・五事件の経過は被告の認定したとおりである。
補助参加人藤田は、解雇理由(一)(1)については、組合員と吉開総務部長のやりとりの中には入っておらず、単に傍観していただけであり、同(2)については、友野総支配人の前面に立って一言声をかけたことはあるが、暴行を加えたことはなく、同(3)については、吉開から三、四メートル離れた後方にいて、吉開と向かい合ったこともなく、唾を吐きかけたことはない。
(2) 五・六事件の経過も被告の認定したとおりである。
補助参加人藤田は、原告会社が組合員をさんざん騙していることに腹を立て、元組合員でありながら、組合脱退後、組合脱退工作を積極的に行っている高田剛をからかってやろうと思い、バスの入り口のところに立ってバスの手摺に手をかけて中をのぞいていた高田に近づき、高田に対して、「みんな乗ったのですか。」という趣旨のことを言い、胸で高田の背中を軽く押し、高田のからだに触れた。その程度は体当たりというようなものではなく、「肩がぽんと触れた」、「ちょっと押す」、「軽くぶつけた」程度であった。そのとき高田はバスの中をのぞいていたのであるから、バスは発車していなかったし、藤田が接触した勢いで高田がよろめくということもなかった。藤田のこのような行動は決してほめられたものではないが、同人は原告主張のような体当たりをしたものではなく、高田が発車したバスに接触しそうになったということもない。そして、高田は、藤田が接触してきたことに腹を立て、バスの入口から中をのぞいている藤田の背後に回って両手で藤田の背中を強く突き飛ばし、藤田は、バスの乗降ステップの一番上に手をついてからだを支えた。藤田は、高田に対し、「何をするんだ。」と抗議し、飛びかかろうとしたが小松に止められた。高田が藤田を突き飛ばすところを見ていた組合員は、高田の周りに集まり、藤田に対して謝るよう高田に詰め寄った。当初、高田は藤田を突き飛ばしたことを否定していたが、多くの組合員が見ていたし、藤田も「突き飛ばしたじゃないか。」と言い、また、小室本部副委員長が高田のそばにやってきて、「お前、ほんとに突き飛ばしたのか、だったら謝れ。」と言ったところ、高田がせせら笑いながら謝ったので、小室は、「人を突き飛ばして謝るなら、そんな謝り方はないだろう。ちゃんと頭を下げて謝れ。」と言ったので、高田が頭を下げて謝った。以上がことの真相である。
千葉地方検察庁はこの件を不起訴にしているのであり、原告は、それが嫌疑不十分による不起訴でなく、執行猶予であることを強調するが、補助参加人組合側は一切捜査に協力しなかったのであるから、原告側の一方的供述等によっても不起訴になったことに注目すべきである。その場の状況の写真にも補助参加人藤田による高田に対する暴行の場面はないし、高田や松井の供述は信用性がないものというべきである。
(3) 五・二一事件の経過については被告の認定に基本的誤りはない。
当日午後三時三〇分ころ、補助参加人藤田が、高田剛らから脱退工作を受けたので、補助参加人組合は、これに対して抗議するため午後四時から時限ストライキに入った。組合員は当初ロビーに座り込んだが、宿泊客が来たので、若干移動した。その後、管理職やガードマンは組合員を排除しようとして、ロビー前から公衆電話のある奥の方へと組合員を押していった。その後、フロントオフィス前のドアのところまで戻り、そこに組合員、管理職、ガードマンが停滞する状態が生じた。事件はそのとき発生した。藤田は、ドアに背を向け、吉開とやりとりしていた。藤田と吉開の間にガードマンの澤田が割って入っていた。宮田はドアの前に立っていたが、藤田の背中側におり、その間には、松井、須藤もいて、藤田はそこに宮田がいることにも気がついていなかった。藤田は、吉開が奥の方へ組合員を排除するため強く押すので、押さないようにと抗議していた。そのとき、ガードマンのからだが藤田の右の胸に当たって、藤田は後ろに半回転をしてよろけてしまい、屈み込むようになった。その際、藤田の肩がドアの前にいた宮田の腹に接触した。すると、宮田は、ドアの中央部に背中をぶつけ、それから頭をドアに置き、周囲を見て、その場に座り込んだ。これがことの真相である。
事件直前の写真である乙八五号証の二と直後の写真である同号証の三の間にはほんの数秒の時間的間隔しかない。この間に、補助参加人藤田が宮田の方へからだを向け、罵声を浴びせ、体勢をとって体当たりをするというのは時間的にまったく無理である。事件はまさに一瞬の出来事であったのであり、意図しない偶然の出来事とみるのが自然である。宮田、吉野、須藤、松井らの目撃供述は信用性がないものというべきである。また、宮田の受傷の有無、程度についても、仮にあったとしてもその程度は軽微なものであり、入院等の経過は、ことさらに傷害を過大に見せようとする原告側の意図に基づくものである。そして、千葉地方裁判所がこの件を無罪としていることに注目すべきである。
なお、前記座り込みは、抗議の意思表示であって業務妨害自体を目的とするものではない。
(4) 七・五事件の経過については被告の認定に基本的誤りはない。
当日午後六時ころ、補助参加人藤田は、男子更衣室奥の便所に行くために同室に入ったところ、たまたま宮田が着替えをしていたのを見つけた。このときには、宮田の着替えは終りに近いころで、宮田は、既にズボンをはき替えていて、後はネクタイを締め、靴を履くことだけが残っているだけだった。その当時、藤田は、宮田が五・二一事件について告訴したことを知っていたが、告訴事実が真実でないことは当の宮田自身がよく知っているはずであり、宮田も原告会社から言われて告訴せざるを得なかったと考えていた。そこで、藤田は、宮田に近づいて声をかけ、母親が癌であること、父親も病気であることなどの家庭の事情を話して告訴を取り下げるように頼んだ。しかし、宮田は、藤田に対して何も答えず、これを無視して着替えを続けたばかりか、藤田が話している最中に、にやにやしながら顔を近づけるという嫌がらせを何度も行った。藤田は、宮田に対する不満を押さえて懇願しているにもかかわらず、宮田の態度が余りに人を馬鹿にしたものであったことから、腹立たしくなり、そばに置いてあった宮田の靴を軽く蹴った。その後、宮田は、着替えをほぼ終え、一旦同室の出口まで行きながら、再び自分のロッカーの前まで戻ってきて、顔を藤田に近づける嫌がらせを繰り返した。その際、藤田は、顔を近づけた宮田の眼鏡のつるに手をかけた。眼鏡は少しずれたものの、外れはしなかった。それでも、宮田は何も言わず、ロッカーを閉め、同室から出ようと出口に向かった。藤田は、宮田が自分の前を通るとき、何か言ってもらおうと思い、宮田の後頭部を一回だけ押すようにこづいた。宮田はそれでも何も言わないまま、同室から廊下に出ると、「こいつに殴られた。」と大声で怒鳴りだし、料飲部長室に向かった。藤田は、「何言ってんだ。やってないじゃないか。」と言いながら、宮田の後について行き、一緒に料飲部長室に入った。中には吉野仕入部長がいて、宮田の話しを一方的に聞き、藤田に対して、「ここはお前の来るところじゃないから出ていけ。」と大声で怒鳴った。藤田は何を言ってもだめだと思い、そのまま退出した。以上がことの真相である。
補助参加人藤田が不用意に宮田と接触し、手を出したことについて批判されるべき点がまったくないとはいえないが、藤田が手を出したのは専ら宮田の挑発行為に乗せられたためであり、また、その程度もごく軽微なものである。五・二一事件を組合対策のためにでっちあげて告訴した原告側の責任を不問に付して、藤田の解雇理由とすることは許されない。
この件については、宮田と補助参加人藤田しかいない密室内の出来事であり、五・二一事件のような客観的証拠はない。要は、宮田の供述と藤田の供述のいずれを信用するかである。五・二一事件で信用できない宮田の供述はこの件においても信用性がないものというべきである。
(5) 一〇・一六事件の経過については被告の認定に誤りはない。
バス発車の指示は空港番がするものではなく、また、空港番が指示を出したこともない。しかも、当時まだ発車すべきでないと判断した補助参加人藤田は出発せず、現にその後、二、三人の乗務員が空港から出てきてバスに乗り込んだのであるから、空港番阿部のバス発車の指示に従わなかったことが業務上の指示違反となることはない。
その後、補助参加人藤田は、乗務員全員がバスに乗り込み、荷物も積み込んだので、運転席の方の乗降口に向かうためにバスを降りようとしたところ、突然、阿部が嫌がらせのためにドアを外側から思いきり閉めたのである。運転席に向かうためには一旦バスから降りる必要があるから、藤田がバスの中にいるのに後部ドアを閉める必要はなく、阿部は、その前に岩名らとのやりとりで形勢不利になっていたため、八つ当たり的にドアを閉めたものとしか考えられない。藤田は、そのドアを中から開け、阿部に対し、「お前、俺のいるのを知っていて、本気でやったのか。」と尋ねたところ、阿部が、「そうだ。」と答えたため、バスの中から阿部の頭を一回軽くこづいたにすぎない。また、その後、藤田は、バスを発車させようとバスの後部から降り、運転席の方の乗降口に向かうため、他車とバスの間の狭い空間を通って行く際、そこにいる必要のない阿部がそこに立っていたため、藤田は、阿部の脇を通った際、故意にではなく阿部の足を踏んでしまったのである。これがことの真相である。
(6) 一一・二一事件の経過についても被告の認定に誤りはない。
この件は当事者間の話し合いにより円満に解決している。また、公判中であったといっても、最終的に無罪となった五・二一事件とその告訴及び原告会社の不当労働行為を原因として発生した七・五事件を対象とする公判中だったのであり、一般の刑事公判中の場合と同列には論じ得ない。
(三) 本件解雇は、以上のように事実をまったく捍造したものか、管理職員らが挑発を繰り返す中で起こったささいな出来事を著しく歪曲した上で解雇事由とするもので、これに至る原告会社の数々の不当労働行為や事件に至る経過、有責性などの事情に照らせば、原告が、昭和五四年九月のホテル支部公然化以来とってきた組合敵視政策による不当労働行為の一環であることが明らかである。
すなわち、
(1) ホテルは、昭和五三年五月、新東京国際空港の開港に伴って本格的な営業を開始したが、早朝から深夜に及ぶ長時間労働等、その労働条件は劣悪極まりないもので、昭和五四年九月まで一年数か月の間に少なくとも三人の女子従業員が勤務中に倒れるという出来事もあり、同年八月以降、ホテル従業員が次々と補助参加人組合に加入し、組合公然化直後にはその数は約六〇人に達した。これに対し、原告は、危機感をつのらせ、補助参加人組合に対する徹底した敵視政策をとるようになり、一方において、団体交渉の要求に一切応じないという態度を一貫してとり、他方において、管理職員らを総動員して組織的かつ徹底的な脱退工作を行い、一〇日足らずの間に約二〇人もの組合員を脱退させた(補助参加人藤田自身も高田らから脱退工作を受けた。これらの脱退強要事件については、不当労働行為であることが労働委員会、裁判所の審判を経て確定している。)。
そして、原告は、これらの不当労働行為に対する地労委からの勧告、初審救済命令、被告の初審命令履行勧告等のいずれにも従わず、他方、冬期一時金について、「昭和五四年度冬期賞与について既に発表された内容による支給額に同意し、これに対して一切異議を申しません。」という内容の同意書を全従業員に配布し、これに署名しない限り一時金を支給しないという挙に出て、同意書への署名を拒否した組合員二六人に対しは、仮払仮処分命令のあるまで一時金を支給しなかった。
(2) 補助参加人組合は、こうした攻撃に対して、活発な運動を展開し、これを支えるため、ホテル支部内に闘争委員会を設置して組織強化を図り、昭和五四年一〇月二七日にはスト権を確立して、原告からの攻撃に対抗できる体制を整え、他方、公的機関に申告や申立をすることにも積極的に取り組んでいった。この時期の公的機関からの命令や勧告を列挙すると、次のとおりである。
昭和五四年一一月一三日 地労委が団交拒否問題で審査の実効確保の措置勧告をした。
同月五日 佐原労働基準監督署が女子労働者の違法残業など一八項目に及ぶ法違反を認め、その是正を勧告し、一三項目にわたる指導をした。
同年一二月一五日 千葉地方裁判所佐倉支部が冬期一時金の仮払いを命ずる仮処分命令を発した。
同月二五日 地労委が、第一次団交拒否事件(地労委昭和五四年(不)第三号の一事件)について救済命令を発した。
同月二七日 千葉地方裁判所佐倉支部が冬期一時金の仮払いを命ずる仮処分命令を発した。
昭和五五年二月二〇日 佐原労働基準監督署が残業手当の不払等三項目についての法違反の是正勧告と五項目にわたる指導をした。
同月二九日 被告が団交拒否問題に関する前記初審命令履行勧告をした。
このようにして、原告の不当な労務政策は公に指弾され続け、原告は社会的にも追い詰められていったが、それまでの労務政策を改めるどころか、かえって組合に対する攻撃を激化させた。すなわち、昭和五五年四月には第二組合を結成させ、補助参加人組合の活動を封じ込め、その弱体化を図り、他方において、管理職員による補助参加人組合からの脱退工作を行い、補助参加人組合の提出した春闘要求書の受取り自体を拒否するという対応に出た。かかる状況下で、補助参加人組合は、管理職員らによる脱退強要行為のあった場合には、抗議の意味で直ちに時限ストライキを行うことを決め、同月八日、組合員への脱退強要に対する初めての時限ストライキを実施した。しかるに、これに対する原告の対応は、「ストライキは認めない。」、「無断職場離脱だ。」というもので、ストライキに参加した者全員に対して第一回警告書を交付したのである。而後のストライキに対する対応も右と同様であり、補助参加人組合側は、これらの警告書交付について、その都度救済申立てを行い、原告はいよいよ窮地に立たされることになっていった(これらの救済申立については、それぞれ救済命令が発令され、その後の取消訴訟においても組合側が勝訴している。)。
(3) 原告は、こうした窮地から逃れ、かつ、組合に徹底的な攻撃を加えるべく、親会社であるノースウエストの常套手段ともいうべき不当極まりない刑事告訴戦術に出て、組合役員ら多数の暴行事件を捏造して告訴した(その結果は、大多数の事件が不起訴処分となり、補助参加人藤田についての五・二一事件及び七・五事件のみが起訴されたが、前者は無罪、後者は執行猶予付の罰金刑と、異例の内容で確定したことは前記のとおりである。)。
(4) 昭和五五年五月五日以降昭和五七年二月一八日の本件解雇通告までの約一年九か月の間に、次のとおり、原告の不当性を明らかにする公的機関の判断が示されていった。
昭和五五年六月四日 被告が第一次団交拒否事件について再審査申立てを棄却した。
同年七月二一日 地労委が脱退強要事件(地労委昭和五四年(不)第三号の二事件)について救済命令を発した。
同年一〇月三一日 東京地方裁判所が第一次団交拒否事件について緊急命令を発令した。
同年一二月二四日 地労委が警告書事件(地労委昭和五五年(不)第一ないし第三号事件)について救済命令を発した。
昭和五六年一〇月一二日 千葉地方裁判所佐倉支部が前記一時金仮払仮処分異議訴訟について仮処分命令を認可する旨の判決をした。
昭和五七年一月二九日 東京地方裁判所が第一次団交拒否事件について原告の請求を棄却する旨の判決をした。
同年二月三日 地労委が第二次団交拒否事件(地労委昭和五六年(不)第三号事件)について救済命令を発した。
(5) こうした経過を経て、補助参加人藤田らの刑事公判が山場を迎えていた昭和五七年二月一八日、原告は、組合の熱心な活動家であった補助参加人藤田及び組合員吉田利行に対して、突如として解雇通告を行った。原告は、藤田が闘争委員であったことを知らなかったと主張するが、藤田は闘争委員となって一週間もたたないうちに、直接の上司である高田ベルキャプテンから、「藤田さんは、会社にいると役員にはなれないけれども、組合員だと闘争委員になって、偉くなったからいいね。」と言われているのであって、原告がその事実を知っていたことは疑いがない。そして、藤田は、団体交渉等の要求行動、抗議行動、ストライキ等あらゆる場面で、組合員の先頭に立って活動してきた。原告が組合に対する嫌悪と併せて、藤田を組合の中心的活動家と目し、著しい嫌悪の念を抱いていたことは明らかである。
以上のとおり、本件解雇は、原告が補助参加人藤田の組合活動を嫌悪し、原告から排除するために行ったもので、かつ、補助参加人組合の弱体化を企図したものであるから、不当労働行為に該当することが明白である。
なお、原告は、当時の補助参加人組合の行動自体が正当な組合活動といえないと主張するが、労使関係悪化の原因は、労働基本権の観念が定着した昨今においては稀であると考えられるほど不当な原告の組合活動抑止策にある。仮に、形式的にみれば、当時の補助参加人組合の活動に原告就業規則に違反する点があったとしても、原告側の様々な不当労働行為の前にあって、当時の組合の行動はなお正当と評価されるべきものである。
(四) 本件命令主文第一項につき、原告は、中間収入を控訴せずに全額のバックペイを命じたのが違法であると主張するが、補助参加人藤田は本件解雇後他に就職したことはない。藤田は、補助参加人組合からの救援金で生活しているものであり、右救援金の性質は借入であって、原告からのバックペイの支払があれば補助参加人組合に返還すべきものである。
また、本件命令主文第三項が掲示を命ずる文書に「陳謝」との文言が入っていることについて、原告は憲法一九条に違反すると主張するが、「陳謝」文書の掲示は機械的に行えば足りるものであって、原告会社に「陳謝」を強いるものではない。また、前記のとおり、原告によって繰り返しなされてきた不当労働行為のために被った補助参加人組合の団結権侵害の程度は計り知れないものがあり、本件の救済方法として陳謝文言の入ったポストノーティスを命じたことは、労働委員会の裁量の範囲内である。
第三争点に対する判断
一補助参加人藤田の解雇理由とされた各事由について、それぞれ次のとおりの事実が認められる。
1 (五・五事件について)
(一) 昭和五五年五月五日午前五時から、原告の団体交渉拒否や春闘要求書の返却と無回答に対する抗議等の趣旨で、補助参加人組合による終日のストライキが実施され、早朝から組合員らがホテル構内に順次参集した。補助参加人藤田は、午前七時三〇分ころ、ホテル構内に到着してこれに加わった。同日午前七時ころには、補助参加人組合のストライキ実施の連絡を受けた吉開総務部長が出社し、同日午前八時ころには、友野総支配人がオートバイで出社した。
友野総支配人は、ホテル構内に入ると、そのままオートバイでホテル別館の幹部宿舎(アネックス)に入ってゆき、ホテル構内に集まっていた組合員らは、友野総支配人を追いアネックスの南西側にある玄関前に行ってその呼び鈴を鳴らして面会を求めたが、友野総支配人はこれに応じなかった。間もなく、補助参加人藤田を含む一部の組合員は、アネックスの北東側に行き、アネックスに向かって「友野出てこい、友野出てこい。」と声をそろえて大声で呼び、中には酒が入ってあき缶を叩いて調子を合わせている者もいた。
友野総支配人の出社と組合員の様子をホテル本館近くで見ていた吉開総務部長は、一旦ホテル本館に戻ろうとしたところ、組合員が騒いでいるので至急ガードマンを寄越すようにという友野総支配人からの電話連絡があったことを聞き、自らもアネックスに向かった。吉開総務部長が、アネックスの北東側にいた組合員らに近づいて行くと、組合員の方も吉開総務部長を認め、補助参加人藤田ほか約一〇人の組合員が吉開総務部長を取り囲み、吉開総務部長が騒がないよう注意するのに対して、こもごも原告側の対応についての不満から「雑務部長」などと罵りながら同総務部長に対して交互に体当たりをした。補助参加人藤田は、他の組合員と共同して右体当たりを行ったものである。
(二) 間もなく、友野総支配人が本館に向かうためにアネックスの玄関から出てくると、これに気づいた組合員らは、吉開総務部長に対する囲みを解き、友野総支配人のところに行って、その進路を塞いで取り囲み、前同様に罵声を浴びせながら、肩で友野総支配人の胸を押すなどの暴行を加え、その結果、友野総支配人は金網のフェンスに押しつけられたり、よろめいたりした。補助参加人藤田は、他の組合員と共同して右暴行行為をしたものである。
(三) 組合員らは、同日正午ころから約一時間ホテル構内で集会を開いた後、団体交渉申し入れと春闘の要求をすべく、約三〇人程でホテル従業員出入口に行ったが、同出入口は施錠されていて応答がなかったため、ホテル玄関に回った。しかし、原告側が玄関も施錠していたため、玄関のガラス越しに、組合員らは内部に向かって面会を求め、内部からは吉開総務部長がハンドマイクで退散するように命じ、相互に怒鳴り合う状態が続いた。その後、佐藤支部委員長が茶封筒をかざして、渡す文書があるから受け取るよう言ったのに対して、吉開総務部長が「文書を渡したいなら、郵送してもいいし、ドアの下から差し入れればいい。」旨答え、組合側が反発するという経過を経て、団交申入れ書を受け取るため、吉開総務部長が前記従業員出入口に回った。
午後二時過ぎころ、吉開総務部長が従業員出入口から一人で外に出て、玄関から回ってきた佐藤工、小松三夫、小川良一らを先頭とする組合員らと従業員出入口外の階段の上で出会うと、佐藤、小松、小川らは、同総務部長を壁に押しつけて取り囲んだ。組合員らは、吉開総務部長が専ら文書を出すように言うのに対して、同総務部長の左耳元に口を近づけて大声を出したり、これまでの経過について謝罪しろと言ったりしたが、補助参加人藤田は、この間に吉開総務部長を取り囲んでいる組合員の肩越しに割り込んで同総務部長に顔を近づけて同人の顔面に唾を吐きかけ、同総務部長が「何をするんだ。」と言うと、「唾ぐらいならいくらでもやらあ。」などと言って再度唾をかけた。
(争いのない事実、<書証番号略>、証人吉開楯彦、同藤田順一の各証言、弁論の全趣旨)
本件命令は、右(一)の点については、補助参加人藤田を含む組合員らは吉開を取り囲んで同人に抗議しただけであり、抗議は小室孝夫、佐藤工、小松三夫、鈴木博作(旧姓岩名)ら組合役員が中心となって行ったもので、右抗議の際、組合員と吉開の体が接触することがあったが、藤田が、右役員以上に一人突出して、吉開に暴行を加えたとの事実は認められないとしている。その趣旨は必ずしも明確でないが、藤田を含む組合員の暴行の事実を認めた上で藤田の行為が突出したものではないとの趣旨のようにもみえるところ、補助参加人らは、補助参加人藤田は組合員と吉開のやりとりの中には入っておらず、単に傍観していただけであると主張する。そこで、証拠関係をみると、証人藤田淳一は、当時吉開がいたことについては記憶がない旨証言し、<書証番号略>における補助参加人藤田の供述も同旨(とくに<書証番号略>においては、当日午前中は吉開の姿を認めていないとまで供述している。)であるけれども、補助参加人藤田の前示暴行を明確に語る<書証番号略>(吉開楯彦の陳述書)、<書証番号略>(吉開楯彦の中労委における供述)、証人吉開楯彦の証言のほか、小松三夫も地労委における供述(<書証番号略>)で補助参加人藤田が吉開の回りに集まった組合員の中にいたことを認めており、小室孝夫も同様に補助参加人藤田もいたと思う旨供述(<書証番号略>)しているところであって、補助参加人藤田が吉開の回りに集まった者の中にいたことは争う余地がない。更に、体当たりの事実については、前記小室供述は、専ら佐藤、小松、小室の三人による抗議に終始し、吉開を取囲んでいないかのように言い、補助参加人藤田らが体当たりなどすれば見えたはずだが、見ていないので、そのようなことはなかったはずだという趣旨を述べているが、他方、前記小松供述は、佐藤、小松、小室の三人が前面で抗議していたので、補助参加人藤田らが体当たりしたことはないと思うと言う一方、同時に、一〇人くらいで取り囲み、吉開が動く方向に全員が動き、吉開が押せば押し返す形で押し合いをしたので、前面の者はもみ合っていた関係で体の接触はあったけれども、二、三歩下がってからぶつかっていくという意味での体当たりはしていないとも述べており、それぞれの内容が相当に食い違うのみならず、各供述の変遷状況や他にも小松供述と小室供述との間には、団体交渉要求書を吉開にその場で手渡そうとしたかどうか、吉開に対峙した組合員の態様などにつき、単なる表現の差とは解し得ない、無視することのできない食い違いがあることに照らすと、いずれもそのまま措信することはできないものであって、これらの証拠によって<書証番号略>証人吉開楯彦の証言において語られる被害状況に関する前示認定を覆すことはできない。
次いで、右(二)の点については、本件命令は、佐藤、小室、小松、補助参加人藤田ら組合員がアネックス脇の路上で取り囲むようにして、団体交渉に応じるように抗議したのに対して、友野総支配人はにやにやしながら無言のまま上を向いてホテル本館の方に歩いていってしまったとして、組合員は友野総支配人に寄り添って歩きながら抗議を続け、組合員と友野総支配人とが体を接触させることが何度かあり、友野総支配人がよろけることもあったが、補助参加人藤田の暴行は認められないとしているところ、補助参加人らは、藤田は友野の前面に立って一言声をかけたことはあるが、暴行を加えたことはないと主張する。そこで、証拠関係をみると、藤田の供述(<書証番号略>証言)は、アネックス脇から姿を見せた友野総支配人は組合員に囲まれていたものの、本館に向かって普通に歩いて行ったのであり、組合員がその歩行を妨げたことはなく、藤田自身と友野総支配人との距離が近づいたのは、友野総支配人が歩いて藤田の脇を通り過ぎたときだけで、実力を行使した事実はないというものであり、藤田に近づく前、友野総支配人は歩いてくる途中で急に崩れた、あるいは、ばたっとよろけた(<書証番号略>)、又は、一度こけた仕種をした(<書証番号略>)のを見たというものである。しかし、藤田を含む組合員の前示暴行を明確に述べる<証書番号略>、証人吉開楯彦の証言のほか、小松も地労委において、組合員らが友野総支配人の方に駆け寄って取り囲み、無言でいる同人に対して団体交渉に応じろなどと言った、組合員は入れ替わり立ち替わり友野総支配人の正面に立ったと思う、同人はまっすぐ本館に向かって歩いていったわけではなく、同人とフェンスの間が五〇、六〇センチメートルになったこともあったと述べ、また、全体として、組合員らが友野総支配人の進路を遮って発言し、同人が避けると取り囲んだままの状態で移動するという行動があったこと自体は否定していない(<書証番号略>)。そして、小室も地労委において、友野総支配人が右に行けば組合員も右へ、同人が左に行けば組合員も左へという動きはあったと述べており(<書証番号略>)、鈴木(旧姓岩名)の地労委における供述(<書証番号略>)は、すこぶる変遷が多く、また、小松、小室供述とは場所的にも異なる内容となっているものの、組合員が友野総支配人の前に立って団体交渉の要求をしながら、全体の動きとしては一旦本館方向に移動した後、アネックス方向に相当逆戻りしたというのであり、その流れの中で、本館寄りの位置にいたとき、藤田が友野総支配人の南西側の組合員の前の方にいたとか、岩名自身が友野総支配人の進路に立って踏ん張り、体が接触し、組合員が押しとどめたため、友野総支配人が迂回するようにした、藤田らが同人とともに移動しながら、抗議しつつ前に立ったりしたとか、アネックス寄りの位置に戻ったときも藤田がいたとしている。さらに、組合員八木和男も、友野総支配人は、一度後ろに下がって回っていくときにフェンスの脇にある段差に躓いて後ろによろめき、フェンスの金網に触れた(<書証番号略>)とか、下がったときに躓いて後ろに一歩踏み出して右金網に触れた(<書証番号略>)とか供述しているところである。これらの証拠を対比してみると、全体の動きについては前記藤田の供述のみが特異な内容となっていて、藤田の右供述を採用することのできないことはいうまでもない。そして、右に具体的に摘示したような組合員の供述を総合しても、友野総支配人がよろめいたこと、フェンスの金網に接触することがあったことは優に認められるのであり、これらの供述の各変遷状況と相互の食い違いに鑑みると、いずれかが事実を有りのまま供述しているものとは到底解することかできず、これらの証拠によって<書証番号略>、証人吉開楯彦の証言において述べられている明確な被害状況やその目撃状況に疑いをさしはさむ余地はなく、これらの証拠に基づく前示認定を覆すことはできない。
最後に、同(三)については、本件命令は、組合員らが従業員出入口に移動すると、中から吉開総務部長が出てきたので、浜島、小室、佐藤らが、原告会社のこれまでの組合に対する対応について謝罪するよう要求したが、吉開総務部長が「渡す物があれば渡しなさい。」と言うだけで、その間、松井総務係長が内部からガラス窓越しに写真を撮り始めたので、これに気づいた組合員らが吉開総務部長に抗議したところ、同人が否認したため、組合員らが耳元で大声を上げたり、顔をねじ曲げたりして抗議したとして、藤田は、他の組合員とともに少し離れた位置から、「団交に応じろ、謝罪しろ、雑務部長。」などと大声で抗議していただけで、吉開総務部長に唾をかけた事実は認められないとし、藤田の暴行を否定し、また、あたかも松井による写真撮影が暴行の始まった原因であるかのように認定している。そして、補助参加人らは、藤田は吉開から三、四メートル離れた後方にいて、吉開と向かい合ったこともなく、唾を吐きかけたことはないと主張する。そこで、証拠関係をみるに、藤田は、証言において、同人は後の方から階段上に乗ったのであり、吉開総務部長から三、四メートル離れた位置から「脱退工作をやめろ。」とか、「団交に応じろ。」とか言っていただけで、人が多くて吉開総務部長に近づくことはできず、唾をかけたことはない旨証言し、地労委(<書証番号略>)や中労委(<書証番号略>)においても、ほぼ同旨の供述をする。これに対して、まず、松井総務係長が屋内からガラス窓越しに撮影した当時の現場の写真である乙第七九号証の二ないし六をみると、乙第七九号証の二には、吉開総務部長が組合員によって壁ないし窓に押しつけられ、小川、小松が吉開総務部長の右耳元に口を近づけで大声を発していたという吉開(<書証番号略>、証言)、松井(<書証番号略>)がそろって供述する内容に合致する状況が如実に示されているところ、その余の写真も順次、吉開、松井の右各供述において述べられている事態の推移をそのまま表しているものということができ、しかも、これらの写真によれば、吉開のそばにいる者らは、乙第七九号証の二では小松、小川、佐藤、同号証の三では小川、小室、後藤、米山、同号証の四では小松、小川、米山、同号証の五では小松、浜島というように、次々と入れ替わっていることが明らかであり、かつ、同号証の二ないし四では吉開を直接囲んでいる者らの後方には人の動く余裕があることを看取することができる。したがって、補助参加人藤田が、その供述のように、たとい当初の段階においては相当後方に行っていたとしても、階段上の状況が同人の供述するような前に出ることもできないほど人が相互に密着した状態でなかったことは明白である。そして、前記小松供述(<書証番号略>)は、藤田やその他の者が吉開総務部長に対して唾をかけるということがあったかどうか分からないとし、前記小室供述(<書証番号略>)も、藤田が吉開総務部長に唾をかけたというのは見ていないとし、前記八木供述(<書証番号略>)も、藤田の行動は見ていないとするけれども、これらの供述には、前記写真上明らかな事実までをも否定している部分があり、その場の状況をありのままに供述しているものとは到底解することができない。そうすると、吉開の前記各供述が藤田による唾の吐きかけ行為の存在を明確に述べ、これに加えて、吉野周次(<書証番号略>)も、やや誇張した表現となってはいるが、右行為を目撃したことを明瞭に供述していることに照らすと、藤田や右各組合員の供述は採用することができず、前示認定を覆すに足りるものではない。
なお、順次撮影されている乙第七九号証の二ないし六の写真の中には、なるほど、藤田の姿は認められず、また、同人が吉開に唾を吐きかけている状況は写っていないが、右各写真の撮影位置、角度は異なっており、前記松井供述及び右各写真によれば、乙第七九号証の四の写真を撮影したころ以降、組合員が松井の方向に向かって衣類をガラス窓にかざして写真撮影を防ごうとし、その後ベニア板で窓の一部を塞ぐに至ったこと、松井は、同じ位置にとどまったままで冷静に撮影を続けていたわけではなく、場所を移動していたことが認められるから、たまたま松井がその場面を目撃せず、その写真が撮影されていないことをもって、そのような場面がなかったとすることはできない。
2 (五・六事件について)
昭和五五年五月六日も、前日同様、終日のストライキが行われ、組合側は、当初、一旦前記従業員出入口に行って警備員を通じて内部に面会を求めたものの、拒絶されたため、ホテル玄関前に支援者を含めて約四〇人で集まり、シュプレヒコールで気勢を上げるなどしていた。原告側は、引き続くストライキのため、当日の予約客一〇〇人以上を他のホテル等に受け入れてもらったり、一般の宿泊、飲食客の利用を断る掲示を出したりするなどの処置をとった上、玄関を施錠して、内部から退去を求めるという対応をしていた。
高田剛は、客室部ベルキャプテンで、宿泊客の案内、チェックイン・チェックアウトの際の手荷物の世話、空港等への送迎バスの手配などを業務内容とするベルボーイとドライバーの上司であるが、同日午後五時過ぎころ、空港からの出発便の乗務員約一五人を外部からのチャーターバスで空港に送るため、組合員らのいる玄関からでなく、ホテル本館建物脇のプールへの出入口から、玄関前の車寄せに停車させた右バスのところまで乗務員を案内したり、荷物を運んで右バスにのせたりする作業を他の従業員らとともに行った。当時、組合側は特別の行動中ではなく、三々五々組合員がロビーやその脇のレストランの外部の建物縁石等に腰掛けたりしている状態であった。作業を終了した高田が、午後五時四〇分ころ、チャーターバスの運転手に対して発車するよう指示をし、右バスが発車し、これを見送ろうとしていたところ、突然、補助参加人藤田は、高田の後方から同人の背中にぶつかった。
その後、補助参加人藤田が高田に飛びかかり、続いて同人を含む組合員らが高田を取り囲んで、共同して、高田に対して肩などで小突いたり、つかんだりする暴行を加え、その結果、同人に対し、全治約一週間を要する右眼窩部・両上腕部打撲、右側腹部擦過傷の傷害を負わせた。
(争いのない事実<書証番号略>、証人高田剛、同藤田順一の各証言、弁論の全趣旨)
本件命令は、右について、補助参加人藤田は、玄関前でチャーターバスの前に立って右バスの中をのぞき込んでいた高田の背中に右肩を軽くぶつけて高田の業務を一時阻害したが、その後の経過は、高田の方が藤田の背後に回って同人の背中を強く突き飛ばし、藤田は、右バスの乗降ステップの最上段に手をついてやっと体を支え、高田に抗議して飛びかかろうとしたところを小松に後ろから抱き止められてしまい、後は高田と組合員のもみ合いになり、藤田が更に高田に暴行を加えた事実は認められないと認定しているところ、補助参加人らも、藤田が高田の背中を胸で軽く押したというほかはほぼ同旨の主張をする。
証拠関係をみるに、まず、ホテル館内に戻った高田の顔に傷があったこと及び高田が同月八日に医師の診察を受け、前示のとおりの診断を受けたことは、診断書(<書証番号略>)と高田の供述(<書証番号略>、証言)、松井の供述(<書証番号略>)によって明らかである。そこで、これらの傷害がどのようにして生じたものかが問題となるところ、高田の供述における被害の態様、松井の供述におけるその目撃状況は、前掲各証拠を総合すると基本的に信用することができるものというべきである。
なるほど、藤田の供述(<書証番号略>、証言)は、ほぼ被告の認定又は補助参加人らの主張に副う内容となっている。その内容を具体的にみると、藤田は、レストランの中央部の前付近にいたとき、チャーターバスのドアから中をのぞき込んでいた高田の姿を認め、同人のところに行って「みんな乗ったの。」と言いながら、右手で右バスの手摺を、左手で右バスの折れたたまった扉をつかみ、肩か胸で高田を軽く押してやったことろ、高田が手摺をつかんでいる藤田の右手の下を通って後ろに回って藤田を突き飛ばし(藤田は振り向かなかった。)、藤田はステップに両手をついて体を止めた、激怒した藤田は(「今度は本当に頭に来てしまい」と供述する。)すぐ高田に飛びかかろうとしたところ、小松に腹を後ろから抱えられて止められた、そのため、高田に手が届かなかった、したがってまた、高田の顔面を引っ掻いたということもない、小松は間近にいたわけではなく、どこからどう動いて藤田の後ろに来たのか不明であるというものである。しかしながら、バスのドアの前に立っている高田の後ろから右手でバスの手摺を、左手でバスの折れたたまった扉をつかんだ後に肩か胸で高田を軽く押すという行為自体いささか不自然であり、このようにした後、手摺をつかんでいる右手の下を通って後ろに回った高田から突き飛ばされるまで、藤田がそのままの姿勢でいたということは考えにくいこと、突き飛ばされてステップに両手をつき激昂してすぐに飛びかかろうとしたのを後ろから抱き止めるという小松の制止行為が時間的にも位置関係からも物理的に可能であるか疑問であることなど、右供述はそれ自体の中にかなり不自然、不可解な面を包含しているといわざるを得ない。藤田は、小松の背後からの制止行為の物理的可能性について、藤田が突き飛ばされて振り返った際、高田との距離が五、六メートルあったとか、藤田が一、二歩歩いて右バスとの間に小松の入る間隔ができていたかもしれないと供述しているものの、この供述は、ステップに両手をついた藤田が激怒してすぐに飛びかかろうとして高田に手が届く前に抱き止められたという大筋の流れとそぐわないものがある。そしてまた、前掲各証拠によれば、乙第八二号証の二ないし五の写真は、組合員らが高田を取り囲んでいる状況をレストラン内から、順次時間を追ってその順序で撮影したものと認められるところ、藤田が抱き止められたという小松の供述(<書証番号略>)をみると、小松が藤田を抱き止めたのは同号証の三から同号証の五の間位の、むしろ後半の段階であって、高田が組合員らの謝罪要求に対して初めに謝ったときに謝り方が悪かったので、藤田が怒って、囲みの中に割って入ろうとしたのでそれを止めたのであり、芝生に入るころ藤田の方が力が強いのでやむなく藤田の足をかけて引き倒した旨供述するところであって、その内容は、藤田が自らの暴行がなかった理由として述べる制止の経過とはまったく異なったものとなっている。右の藤田の供述も小松の供述もいずれも制止行為は一回限りのものとして供述されているのであるから、藤田の供述と小松の供述との間のこの齟齬は甚だしいものがある。さらに、小松の供述においては、組合員らが高田を囲んでいたうちの後半の段階でも藤田が怒って囲みに割って入ろうとし、引き倒してようやく止めるという程度であったというのであるのに対して、前記藤田の供述は、当初小松に抱き止められているうちに頭に来たのはさめてきたとし、小松が放した後は、あたかも冷静であったかのごとき内容となっており、この間の食い違いも無視することができない。また、前記小松の供述も、藤田が高田にぶつかり高田が藤田を突き飛ばしたことがこの出来事の切っ掛けになっているという流れを述べる点に限っていえば、前記藤田の供述と概ね同旨であるが、制止行為や藤田の態度に関する藤田の供述との前記のような齟齬の状況に照らすと、いずれも前記の診断書、写真、高田の供述、松井の供述に基づく被害状況の認定を覆すものとはいえない。
なお、前掲各証拠によれば、右暴行時、組合員らがこもごも高田に対して藤田に対する「謝罪」を要求し、高田が藤田に謝ったこと、高田が藤田に謝ることによってその場が収まったことが認められる。この経過は、組合員の謝罪要求を惹起する高田の藤田に対する何らかの行為があったことを推認させる。この点、高田は、高田の方からはまったく手を出しておらず、謝罪を要求された理由が分からないが、分からないまま解放されるために謝ったのであり、藤田に押されて「何をするんだ、危ないじゃないか。殺す気か。」と抗議したのに対して激昂したのではないか、自分を原告会社の代表のように見て敵愾心をもっていたのではないかと供述する(証言)のであるが、藤田はじめ組合員らに、もともと高田に対する反感があり、とくに前日来の原告会社の対応に対して強い不満があって、本件当時、高田が玄関を施錠して、脇の出入口から乗務員を出したことに対する反発心をもっていたとしても、謝罪の相手が藤田であることから考えると、本件における組合員らの行為が高田の供述にいうような単なる発言のみを契機として惹起されたものとは考えにくい。そうしてみると、高田は、藤田から押されて怒り、藤田を激昂させ他の組合員らが高田の方も手を出したとみたような、何らかの対抗的な有形力の行使をしたことが窺われる(小松の供述と藤田の供述の前記の齟齬の状況に照らすと、それが藤田又は小松の供述どおりであったとは解し得ず、結局本件証拠上はこれを確定することができない。)。もっとも、右のような高田の有形力の行使があったとしても、前掲各証拠によれば、組合員らが高田を取り囲んだ後は、高田が組合員に囲まれながら実力をもって抵抗したことを認めるに足りる証拠は何もなく、高田と組合員との間で本件命令の認定するような揉み合いがあったとすることはできない。
3 (五・二一事件について)
昭和五五年五月二一日当時、補助参加人組合は、組合員が原告の管理職員らからいわゆる脱退工作を受けた場合には直ちに時限ストライキに入るという方針をとっていたところ、同日午後三時三〇分ころ、藤田が前記高田剛らから、組合から脱退するように勧奨されたため、同日午後四時から二〇分間の時限ストライキに入った。
当日はホテルは平常営業中であり、ロビー内にも宿泊客がいたが、同日午後四時ころ、藤田を含む組合員約一〇人は、ホテルのロビーの玄関入口付近で入口を背にして座り込みを始めた。そこで、吉開総務部長は、組合員らに対して、ロビーでの座り込みは営業業務の妨害になるので退出するようにと繰り返し指示した。吉開総務部長はじめ松井総務係長ら管理職員は、宿泊客のいるロビー等のいわゆるゲストスペースから従業員出入口の方へ組合員らを退去させようと考えていたところ、組合員らは、吉開の指示に対して「雑務部長」などと罵言を口にして当初は中々指示に従わず、その後暫くして立ち上がると、管理職員とガードマン(いわゆる警備保障会社からの派遣警備員であるが、実質は付近の農家等の中高年者がホテル構内の見回り等を主たる業務として派遣されてきていたにすぎない。)に囲まれながらゆっくりと促された方向に移動し始めた。途中、藤田は、フロントカウンターの前で、もう少し営業の邪魔をしてやろうと思い、「この辺は居心地がいいからもう少しいようや。」などと言って、再度その場に座り込んでみせたりした。その後も、組合員の退出の動きが遅々として進まず、ロビーから客室への階段に向かう通路の方に曲がった付近にかなりの時間滞留し、ガードマンには退出を促す積極的な言動がなかったため、吉開総務部長がその付近で「早く退去させるように。」と言うなどし、松井総務係長も組合員らに退出を促していたところ、藤田は、「退去させるというのはこういうふうにやるんだ。」と言いながら、同人の前にいた松井総務係長を胸で押して一気に数メートル奥の煙草自動販売機のある付近の壁際まで押し込んだ。組合員と管理職員らの集団はこれに従うようにして奥へ移動したが、そこで再び停滞し、組合員と管理職員の言い合いが続くまま徐々に元の方向に戻り、やがて集団の中心が通路の中央部付近のフロントオフィス出入口前に至った。
ところで、その当時、入社して一か月に満たなかった宮田が、原告の調理長であったが、同人は、前調理長と料理法が異なるなどの事情もあり、また、組合員であるコックらが自分に従わなかったことなどから、同年五月に入って本件当時までに五人のコックを外部から連れてきて、しかもこれらの者に従前からいるコックより上の格付けをしたりして優遇したことなどもあって、調理場内の組合員であるコックらや仕事上関係のある組合員のウェイターらは、同人に憎しみを抱き、両者間には反目、対立関係を生じていた。
前記のように集団が移動している間、原告にコックとして勤務する組合員稗田が宮田に対して拳闘の仕種をして罵言う吐き、宮田が応酬していたところ、藤田がこれに介入し、宮田に対し、「お前が来てからキッチンが悪くなった。」、「ろくでもないコックを芋づる式に連れて来やがって。」などと言った。
そして、その後、右集団の中心が通路の中央部付近のフロントオフィス出入口前に至って再び停滞していた際、藤田は、やにわにフロントオフィス出入口扉の前にいた宮田めがけて体当たりをし、不意をつかれた宮田は、木製の右扉に背部及び後頭部を打ちつけ、その結果、後頭部打撲の傷害を負った。
なお、この間、相当数の宿泊客(乗務員ら)がロビーのソファーに座っていたり、客室に入るためにフロントでチェックインの手続をしたりしていた。(争いのない事実、<書証番号略>、証人高田剛、同藤田順一の各証言、弁論の全趣旨)
本件命令は、補助参加人藤田と吉開総務部長との間にいたガードマンが、後ろから押されて、藤田に強く当たってきたことから、同人が体勢を崩し、その弾みで同人が宮田に強く当たったのであって、藤田には宮田に対する暴行、傷害の意図は認め難いとしているところ、補助参加人らも、ガードマン澤田福次の身体が藤田の右の胸に当たって、藤田が後ろに半回転をしてよろけて屈み込み、その肩が宮田の腹に接触しただけである旨主張する。これらの認定、主張は、藤田の供述(<書証番号略>、証言)に依拠して構成されているものであるが、証人澤田福次は、右藤田の供述内容に反し、藤田に当たったことはないと明確に証言している。そして、藤田が宮田に当たる直前に撮影された乙第八五号証の二(<書証番号略>)の写真とその直後に撮影された同号証の三(<書証番号略>)の写真と対比してみると、藤田と宮田との接触の前後を通じて澤田にはまったく動きがみられないことが明らかであり、この事実に符号する右証人澤田の証言は信用することができるというべきである。また、補助参加人らは澤田が誰かに押されて藤田を押したかのように主張し、藤田が吉開から押されて同人に抗議していたという藤田の供述(前同)を前提として、吉開が澤田を押したのではないかと考えているようである。しかし、右各写真及び乙第一一八号証によれば、吉開にも、また、その左手にいる外山にも、澤田を押したような動きはみられず、澤田、吉開らもその旨述べているところであって、他の者がこのとき澤田を押した事実もないことが明らかである(なお、乙第一四〇号証の上の写真すなわち丙二号証の③の写真には、なるほど吉開が前の者を押しているような状況が撮影されているが、この写真は、甲第二号証の一の5の写真と同一のものであるから、乙第一三六号証でいえば同号証の三と同号証の四の間で撮影されたものであって、当該時限ストライキの状況を順次撮影したこれらの写真の順序からみて、それは本件で問題とされている藤田の暴行より前の時点の、廊下の反対側での状況であると認められる。)。
右に説示したところと前掲各証拠に照らすと、ガードマンが藤田に当たったために同人が宮田にぶつかった旨の前記藤田の供述は、信用することができない。
ところで、この事件で起訴された藤田に対する刑事事件では暴行の故意の立証がないとして無罪判決がなされている(<書証番号略>)。もとより、刑事判決と本件とでは、事件当時の状況についての供述関係のほか前後の事情についての証拠関係も異なっており、同判決の判断が本件における認定を直接左右するものではないことはもちろんであるが、補助参加人らは右刑事判決がそのまま確定したことを強調するので、念のため付言する。
右刑事判決は、まず、当日の状況につき、①組合員らは、最初ホテル二階の正面ロビーに平穏に坐り込みを始めたが、まもなく、吉開楯彦総務部長ら会社側の者数名と警備員数名(いずれも警備保障会社から派遣された者)が現れて退去命令が出され、また同所は客の出入りする場所であるから他に移動するよう促されたことから、しばらくして組合員らもこれに応じ、坐り込みをやめ、会社側の者や警備員らと共に、フロント・オフィス前を通って奥に進み、右に折れてロビーの客の目に触れにくいフロント・オフィス横の通路に至り、さらに従業員出入口のある突当たりの自動販売機が設置されている部分まで一旦進んだ後ロビーの方向に少し逆戻りしフロント・オフィス横のドア前付近に至ったこと、②午後四時から行われた二〇分間のストライキの模様については計六七葉にのぼる写真がその際撮影されているが、これによると、その間警備員によるホテルの建物外への退去活動もなく、会社側の者及びストライキ参加者の動きもおおむね平穏であって、佇立して腕組みをしたり、後手に組むなどしており、労使間にある程度の応酬はあってもそれほど緊迫した状態には至らなかったこと、③吉開、須藤らの証言によっても、会社側の者がストライキ参加者に対しホテルの建物外に退去するよう要求するのに対して、組合側は、団体交渉に応ずるよう、また組合員に対する干渉等の不当な行為をやめるよう要求し、抗議することが労使間の応酬の主たる内容であり、それ以上に互いに揉み合うという緊迫した状況にはなかったことが認められるとし、「以上のような状況の中で通路奥からフロントの横のドア付近に戻ったのであるが、その後の被告人藤田の動きを写真で見る限り、吉開総務部長らとの間で応酬し合っている状況は認められても、宮田光重と対峙する状況は認められない。」としている。そのうえで、同公判における宮田の「被告人藤田は、体当りをするに際し、宮田と向き合う状態で、『ろくでもないコックを芋づる式に連れて来やがって』などと言い、さらに『この馬鹿野郎』と怒鳴りながら、腰をかがめて右肩を前にして同人の腹部から胸部のあたりに体当りをしてきた」という供述の信用性について、右供述内容どおりの事実が他の証拠に照らして肯認し得るかどうかという観点から、検討を加えている。そして、①藤田が宮田にぶつかる前に右のような言葉を発したのであれば、傍らにいた者が記憶に留めているはずであるのに、右言辞について証言する者がないこと、②本件の乙一三六号証の二九、三〇に相当する写真のいずれにおいても、補助参加人藤田は、宮田に背を向けて吉開らと対峙し、応酬しているのに、同号証の三〇の状況の直後に急に宮田の方に向きを変えたうえ、宮田に向き合って右のような罵言を浴びせて体当たりするというのは、時間的にもあまりに短かすぎ、行動としても唐突にすぎると思われるること、③フロント・オフィスのドアの前付近に戻った時点以降本件直前までの各写真によっても、多数の者の視線はほぼ継続的に集団の中央部分にいる被告人藤田及び吉開らの方向に注がれており、宮田の方向に視線が向けられた状況はこれらの一連の写真からは認められないのであり、このことは、宮田が、本件のストライキ参加者の直接の関心の対象とはなっていなかったことを少なくとも窺わせるのであって、このような状況を前提とすると、前記のストライキの趣旨等を考え合わせても、被告人藤田が、吉開、松井らに対してならばまだしも、右のような状況の中で殊更宮田に対してのみ粗暴な行為に出る動機を見出し難いこと、④前記罵言が本件暴行より前に浴びせられたとしても、その場が収まった後に何事もないのに藤田の方から突如体当りを加える動機がないこと等を指摘して、補助参加人藤田の行為が故意によるものであるとすると唐突で動機も弱いと強調し、宮田の供述が全体として信用性に欠けると判断している。
しかしながら、本件証拠関係によれば、前示のとおり、事件直前の状況は、原告会社側が組合員に退去するよう求めるのに対し、組合員側はこれを無視して滞留するという状況にあり、組合員らの中には、藤田を含めて罵言を発する者もあり、また、藤田は松井総務係長を押して相当の距離を一気に進んだこともあるなど、必ずしも平穏な状況とはいえなかったのである。そして、ストライキ参加者各人についてはともかくとして、藤田については、前示のとおり、吉開や松井のみならず宮田に対しても罵っていた事実があり、直前のこうした宮田に対する言語による攻撃の態様に照らすと、宮田が藤田にとって関心の対象であったことが認められるのである。そうすると、入社以来の宮田の組合員らとの対立状況、とくに本件の直近に宮田が五人ものコックを外部から連れてきて組合員らとの対立、反目が一層顕著になっていたことに鑑みると、宮田の方からは直接藤田に対する挑発的な言動がなく、藤田の行為が唐突であったとの感が否めないからといって、本件において藤田が宮田を攻撃する動機に欠けていたものということはできない。確かに、宮田の供述(<書証番号略>、証言)は細部について相当の変遷を示している部分があるが、被害の粗筋は終始一貫したものがあり、問題とされた発言についても、結局は「ろくでもないコックを芋づる式に連れて来やがって」という発言があったことは確かだが、その時点を正確に特定できないというのであり、体当たりの際に罵言を浴びせたことが認められないからといって、そのことに過大な意味を見いだすべきではなく、宮田の供述全体について信用性がないと考えるべきではない。そして、本件当時、藤田と宮田の間には左右に須藤、松井がいたのであって、松井は藤田の体当たりを目撃し、須藤は視線を離していたが藤田が身を低くした気配を感じ体当たりを目撃したと供述している(<書証番号略>)のである。前記の認定はこれらの証拠に基づくものであって、結局、右無罪判決によってもこの認定を覆すことはできないといわざるを得ない。
4 (七・五事件について)
昭和五五年七月五日午後六時ころ、補助参加人藤田は、ホテル一階男子更衣室(ロッカールーム)において、着替え中の宮田に対し、「告訴なんかしやがって。」と言いながら、同人の靴を蹴った後、五・二一事件についての宮田の告訴について不満を述べながら、同人がかけていた眼鏡のつるに手をかけて外そうとしたり、同人の後頭部を平手で殴打したりし、また、同室を出ようとする宮田の顔面に唾を吐きかけた。
(争いのない事実、<書証番号略>、証人吉開楯彦、同宮田光重、同澤田福次、同藤田順一の各証言、弁論の全趣旨)
本件命令は、五・二一事件について故意による暴行行為はなかったとの前提のもとに、藤田は宮田に対して不当な告訴の取下げを頼んだのに、宮田がこれを無視したのみならず、挑発するような態度に出たために右行為に及んだものと認定しているところ、補助参加人らも同旨の主張をし、藤田は偶然宮田に会って、詳しく家庭の事情等を話して告訴の取下げを頼んだのであり、宮田に対して罵ったり、唾をかけたりはしていない旨供述する(<書証番号略>証言)。しかしながら、五・二一事件において前記認定のとおり藤田は宮田に体当りをしていたばかりでなく、<証拠略>によれば、藤田は同年六月一二日には、鈴木、小松、吉田、鬼沢らとともに宮田の自宅に押し掛け、家人に宮田との面会を求めたり、宮田が不在を装うと、「宮田がいないと調理場がやりやすい。」とか、「今度来たときはハンドマイクを持ってきてこの辺には住めなくしてやる。」などと言って帰ったことがあることが認められる。こうした態度に出ていた藤田が、偶然出会った宮田に告訴の取下げをその供述のように家庭の事情等を詳しく説明して懇願したというのはいかにも不自然であって、宮田の供述(<書証番号略>証言)その他前掲各証拠と対比してみると前記藤田の供述は信用性に乏しいというべきである。
なお、本件命令は、宮田が藤田を挑発するような行為に出たとするが、ロッカー室が狭かったため両者の顔がかなり接近したことがあったのはともかくとして、藤田が前記行為に出たのもやむを得ないとすべきような宮田の挑発行為があったことを認めることはできない。
5 (一〇・一六事件について)
(一) 阿部哲也は、ホテルのフロント係空港番であり、空港に到着した宿泊予定客等のホテルへの案内や各種手配、連絡等を主たる業務内容とし、ホテルの送迎バスの発車について当該バスのドライバーに指示を与える権限を有するものであり、右ドライバーは右指示に従うべき業務上の義務を負うものであるが、昭和五五年一〇月一六日午後四時ころ、送迎バスを運転して同空港に行っていた補助参加人藤田は、成田空港南ウイング付近の路上において、ノースウエストの乗務員を送迎バスに案内して乗車させたホテル空港番阿部から、右バスを発車させるように指示されたにもかかわらず、これを無視して駐車中の右バスの後部にある乗客の荷物を積むバゲージスペースにそのままとどまってバスを発車させようとしなかった。なお、現場では、右に先立って、前記鈴木がジーパン姿でノースウエストの乗務員らに組合のビラを配っており、その後、同人が藤田による荷物の積込み作業を制服を着用しないで手伝っていたのを見咎めた阿部から注意され、かえって食ってかかるという出来事があった。藤田はそのやりとりに直接関与していないが、現場でそれを見ていたため、阿部に対する反感から、前記のような行動に出たものと推認される。
(二) 補助参加人藤田は、右バスを発車させなかったことに腹を立てた阿部が、バスの前記後部扉を強く閉めたため、阿部の頭部を叩き、また、運転席側の乗降口に向かう途中故意に阿部の足の甲を踏み、「お前、俺の足を踏んだな。」という阿部の声を無視して運転席に乗り込んでバスを発車させた。(争いのない事実<証拠略>)
補助参加人らは、(一)については、送迎バスの発車指示は空港番の権限ではなく、(二)については、藤田は、阿部の足を踏んだのは故意にしたことではない旨主張する。
しかしながら、<証拠略>によれば、空港バスの発車の指示が空港番の本来的業務の一つであることは明らかな事実であって、英語は分からないが乗務員が騒ぐので判断するとか、オーケーと言うから分かるなどという藤田の供述(<書証番号略>)は採用し得ない。また、阿部の足を踏んだ点について、藤田は、狭かったので踏んでしまっただけで、故意にしたことではないと供述し(前同)、鈴木供述(<書証番号略>)中には、当該バスと隣に停車していたライトバンとの間隔が一メートル足らずくらいだったという供述部分があるけれども、人がその場にいることをよく承知の上でその面前を通過するに際して足を誤って踏むという行為はそもそもそれ自体として相当に特異なことであり、更に、直前の暴行の事実や藤田が「お前、俺の足を踏んだな。」という阿部の声を無視して運転席に乗り込んでバスを発車させた事実に照らしても、誤って足を踏んだにすぎないという弁明は採用し難い。
6 (一一・二一事件について)
補助参加人藤田は、昭和五六年一一月二一日午後一一時過ぎころ、従業員食堂において、女子従業員丸山寿子に暴行を加え、同女に口唇から出血する傷害を負わせた。
(争いのない事実、<証拠略>)
二右認定事実によれば、補助参加人藤田について原告就業規則上の懲戒事由が認められる。
1 右認定事実中1(一)の吉開総務部長を取り囲んで他の組合員らと共同して行った体当たり行為及び同(二)の友野総支配人に対する他の組合員らと共同した暴行行為並びに同(三)の吉開総務部長に対する唾の吐きかけ行為は、いずれも原告就業規則七二条一項一二号の「他人に暴行を加えたとき」に該当する。
2 同2の業務遂行中の高田剛に対する暴行行為は原告就業規則七二条一項一二号の「他人に暴行を加えたとき」及び「業務を妨害したとき」に該当する。
3 同3の営業中のホテルロビーにおいて営業を妨害する意図をもって座込み行為を繰り返し、管理職員に対して罵言を発し、松井を壁際まで押すなどの行為は原告就業規則七二条一項一二号の「業務を妨害したとき」に、また、宮田光重に対する傷害行為は同号の「他人に暴行を加えたとき」に該当する。
4 同4の宮田光重の眼鏡のつるに手をかけて外そうとし、同人の後頭部を平手で殴打し、唾を吐きかけた行為は、原告就業規則七二条一項一二号の「他人に暴行を加えたとき」に該当する。
5 同5の阿部哲也からのバス発車の指示に従わなかった行為は、原告就業規則七二条一項七号の「職務上の指示、命令に従わず職場の秩序を紊したとき」に、同人の頭部を叩き、故意に足を踏んだ行為は同条一二号の「他人に暴行を加えたとき」に該当する。
6 同6の女子従業員に対する傷害行為は、原告就業規則七二条一項一二号の「他人に暴行を加えたとき」に該当する。
三これらの行為は、それぞれがそれ自体として看過することのできない実力行使であるのみならず、五・五事件、五・六事件にあっては、いずれも営業中のホテル構内で、五・二一事件にあっては、営業中で付近には相当数の宿泊客がソファーに座っていたり、客室に入るためにチェックインの手続をしているホテルロビーやフロント前及びこれに続く客室に向かう階段前の通路で、一〇・一六事件にあっては、人が多数出入りする空港の路上に駐車され原告の送迎業務に当てられているバス付近で、しかもそのバスにはホテルにこれから宿泊する乗務員ら多数が乗車しているところで、それぞれ敢行されたものであって、これらの行為がホテル営業を中心とする原告の業務を甚だしく阻害し、その職場の規律に著しく反し、秩序を乱すものであることは多言を要しない。そして、そのうちの一部が補助参加人組合の活動に際して、あるいはこれに前後して惹起されたものであること、すなわち、五・五事件、五・六事件、五・二一事件が補助参加人組合のストライキの時間中のことであり、一〇・一六事件が事件前に現場でジーパン姿で組合のビラを配っていた岩名が藤田の手伝いをしようとしたのを阿部が見咎めて服装について注意したという経過の後のことであったことは、何ら補助参加人藤田の行為を正当化するものではなく、当該行為を組合活動の一環のようにみる余地はない。補助参加人藤田がこれら六件もの暴力行為を短期間に累行した以上、たとい五・六事件については藤田にぶつかられた高田の方も初めには何らかの対抗的な有形力行使をしたこと、一〇・一六事件については阿部の方が先に腹を立てて藤田が中にいるのにバスの後部扉を強く閉めたという経緯があったこと、一一・二一事件については原告の業務との関連性のない、個人的な問題に起因するものであると推認される(弁論の全趣旨)ことを考慮してみても、原告がホテル営業に対する脅威と企業秩序維持の観点から、原告との雇用関係を継続し難いと判断して、これを解雇することは同種企業の一般的基準に照らし客観的にみてやむを得ないということができる。そうしてみると、補助参加人ら主張の本件前の原告の不当労働行為の全容を考慮しても、本件解雇が主として補助参加人藤田が闘争委員ないし組合員であったことを嫌悪し、あるいは、補助参加人組合の弱体化を図る意図に基づいてなされたものと認めることはできない。
四以上によれば、本件解雇をもって不当労働行為であるとした本件命令は違法であるから、これを取り消すべきである(なお、本件命令発令の日付けにつき原告の請求の趣旨第一項に「八月二四日」と記載されているのは「七月二〇日」の誤記と認める。)
(裁判長裁判官相良朋紀 裁判官松本光一郎 裁判官阿部正幸)
別紙<省略>